きみと同じ歳のころ

いつも眠たい人が書いた文章置き場

眼鏡

抑制された子供ではなかったが、子供のときにやらなかったことがたくさんあることに大人になってから気づいた。例えば夏空の下水鉄砲でびしょびしょになるまで撃ち合う。花冠を作る(私は作り方を知らなかったので、いつもナズナをむしってはくるくる振って音を鳴らしていた)。ぴかぴかの泥団子を作る。たくさんの知育菓子で遊ぶなど。考えればもっと出てくると思う。それを子供のときにできなかったことを不幸だとはまったく思わないし、それは大人になったいまでもできることだということを知っている。全力でやる遊びに大人も子供も関係ない。と思う。

いまは科学や技術の発展も企業努力も凄まじく(詳しくは知らないが多分そうであろう)、子供用だと分かっているが、大人心をくすぐるおもちゃがたくさん出ている。なんならあの頃より超進化を遂げている。未来すごい。インターネットから得た情報だが、ゲームに出てくるブキを模した水鉄砲やぴかぴかの泥団子が作れるキット、たこ焼きみたいなものができる知育菓子、あとこれは素直にほしいのだが、水晶が作れるキットなどがぴかぴかきらきらと販売されている。これはお金で買える夢であり魔法である。

幸いにして私には「○○がやりたい」と言えば「やろう」と即返事をしてくれる最高な親友がいる。これはとてもうれしいことだし本当にしあわせなことだと思う。提案したことに返事があるっていいことだな。先日も「今度四つ葉のクローバーを探しに行こう」と前置きもない怪メッセージをそれも平日の朝早くに送ったのだが、すぐに「いく」とメッセージをくれた。そのあとに「なんかよくわからないけどいく」「ちゃんと押し花つくろ」と追いメッセージもくれた。本当最高である。だからというわけではないが、今年最初の夏、その親友が我が家に泊まり、心ゆくまで遊ぶ約束をしている。そして気づいた。我が家の後ろには公園がある。そりゃあやるしかないだろう。なあ。意気揚々とビレバンやドンキに行こう。よく分からないけどすごい意味不明でなのにかっこいいおもちゃを買おう。私たちは一応大人だから多少なりともお金がある。なにも迷う必要がない。なかなか悪くない消費の仕方だと思う。

去年の夏も親友が我が家にきて泊まっていった。陽が高いうちから酒を買い、呑み、なんの恥ずかしさも抵抗もなく知育菓子を買い、作り、食べ、私たちの好きな人たちをフォントに例えるならなんだろうという討論をフォント資料集を手に取りあーでもない、こーでもないと唸る遊びをした。深夜に。よく分からないけどめっちゃ楽しかった。子供の頃の夢や青春を取り戻している感じがしてずっとわくわくしていた。親友もそうだといいなあと思った。

ふと思い出したのだが、子供の頃、父が作ったペットボトルロケットを公園で打ち上げ、飛んだのはいいが噴射口から勢いよく出る水が地面を打ち、跳ね返った泥で服が泥だらけになったのを思い出した。汚れると分かっていたのに、私は白い服を着ていた。暑くて陽が高い午後だった。あれは面白かったな。公園から家までの短い帰り道、泥だらけになりながらげらげら笑っていた。私の両親は変なところに寛容な人で、子供の頃、公園にある山の形をした石のようにざりざりしたすべり台(すべるところが銀色でつるつるしていない)をわいわいすべりまくって、摩擦で履いていたスカートを通り越して肌着まで穴を空けたことがあるのだが、私のことを怒らなかった(と記憶している)。もしかして子供だから許されたのだろうか。